INTERVIEW
小野絢子さんデリカテッセン「Koma」

甲斐駒から育まれる水は命の源。
美しい自然の中に、さらに美しい素材がある。

白州の地で暮らす人たちへのインタビュー。第二回目は、白州で生まれ育ったのちに東京とロンドンで働き昨年Uターンした、小野絢子さんです。

text by 高山かおり/photo by 古厩志帆


食に対して無頓着だった10代を経て
まずは白州から離れようと思ったきっかけについて教えてください。

当時は何もない町だと思っていて、とにかく日常に刺激がなかったんですよね。原付バイクに乗ってましたけど、甲府までも距離があるし、遊ぶところが全然なくて。歳の離れた兄と姉が白州を離れていたこともあり、都会に出て勉強するという選択が自然でした。10代の頃は野望がなくて、何をやりたいのかが明確に定まってなかった。東京がきらきらとして見えて、憧れていた自分もいたのだと思います。

大学では英文学科に進みました。12歳のとき、商工会の旅行だったと思いますが、グループの方たちと両親と一緒にニューヨークへ行ったんです。初めての海外旅行で、英語を話せるようになりたいと思ったんですよね。世界の人々がどんなことを思っているのか、英語でコミュニケーションができるようになりたいと考えた原点です。この頃から海外への興味が生まれました。

大学卒業後は、都内で就職したんですよね。

先輩や同僚にも本当に恵まれて、とても居心地のよい会社でした。人とのつながりをすごく大事にする文化があり、例えば社長や副社長のバースデーに社員一人一人がメッセージを書いて大きな紙のケーキをつくってプレゼントするなど、直筆のメッセージでやりとりすることも多かったんです。心のこもった手書きのメッセージは、気持ちがちゃんと伝わる意味があることだということをそこで教わりました。

ただ、何年か仕事を続ける中で、なぜかときめきを感じない自分に気づきました。体調を崩すようになってしまい、出合ったのがマクロビオティック。先生に教わって勉強しながら3ヶ月間ヴィーガン生活を続けると、驚くほど体調が整って、体質もガラッと変わったんです。肌がきめ細やかになって、脳がスッキリして仕事効率も上がった。腸内環境が整うことで、身体も脳も心も軽くなって、仕事にスキップして行きたくなるくらいに激変しました。

それまでは食に対して本当に無頓着でした。料理を始めるようになって、父が自分の畑で育てている野菜を送ってくれたんです。味が濃くてみずみずしく、東京のスーパーで買う野菜とは全然違いました。食べると身体が喜び、調子が変わるんです。まさに「巡る」感覚です。初めて生まれ育った白州にありがたみを感じました。美しい自然の中に、さらに美しい素材があったんですよね。

離れたからこそ気づくことができた、白州の自然と美味しい水
白州を離れて暮らしたからこそ、白州の美しさに気づいたんですね。

白州を離れて、ずっと身近にあった自然と美味しい水が恋しくなりました。ですが、当時は地元に戻って仕事をするイメージはありませんでしたね。ただ、私は特別で、実家が和菓子屋の金精軒を営んでいたので自分でも何かできるのではないかと安易に思っていたところがありました。

白州の美しい素材を使って小さなヴィーガンレストランでもやりたいな、と考えるようになりました。自分が体感した劇的な変化を誰かに伝えたいと思ったんです。当時は同期に話しても「宗教にでも入ったのか」と言われるくらい、わかってもらえなかった(笑)。でも、どうしてもこの体験を伝えたい。それが料理をしたいと思い始めたきっかけでした。

その頃からちょうど白州に移住者が増えてきていたんですよね。例えばパン屋のゼルコバさんなど、美味しいお店がとても多く、腕が確かな方が東京ではなくここでやる意味が何かあることに気づきました。ゆくゆくは私も帰りたいと思い始めたのですが、私にはシェフの経験もないですし、スキルもない。12歳のときのニューヨークでの経験が根底にあり、もっといろんな世界を見て、世界の人とコミュニケーションを取りたいという思いもありました。

その後イギリスのロンドンへ行き、デリカテッセン「Ottolenghi」でコミシェフとして働き始めました。色とりどりの美しい料理に惹かれたんです。英語も話せず罵倒されることもあり、決して簡単な道ではありませんでしたが、やりがいとときめきを感じました。これが天職なんだと思いましたね。夢中で働いてあっという間に時間が過ぎ、4年目にヘッドシェフになりました。

白州にはまだまだポテンシャルがある
どのタイミングで白州に戻ることを決めたのでしょうか?

ちょうどその頃、金精軒で新たに大豆ミートの事業を始めることになりました。当初は事業の一環で大豆を使ったスイーツを出すカフェの出店計画を聞いていたのですが、「大豆ミートなのに」と疑問を持ちました。その時点で、妄想程度ですが明確にデリカテッセンをやりたいと思っていました。そこで、「もしカフェ事業をやるのであれば、私にアイデアがあるから任せてもらえないですか?」と家族へ提案したんです。

しかし、白州に戻るか、ロンドンに残りながらリモートで監修をするかは迷っていました。海外の生活も楽しくて、ロンドンと白州の二拠点生活も視野に入れていました。事業を進めていく中で、Ottolenghiで働きながらリモートで監修していくことの難しさを感じ、白州に戻って根を張ってやった方がいいと思うようになりました。そうして2023年10月に帰ってきました。

本当は白州に住みたかったのですが、市営団地も満室でいい賃貸がなくて困りました。空き家自体は多いのですが、貸しているところがないんですよね。なので結局白州には住めず、少し離れた場所で暮らしています。もしかすると私と同じように住まい探しに困る方がいるかもしれないので、なんとか解決できないのかなとは思います。

白州に戻ってきてよかったと思うことはどんなことですか?

一番は、自然環境ですね。水も空気も美味しい。甲斐駒ヶ岳(甲斐駒)と八ヶ岳と富士山と青空に恵まれているのは本当に幸せで、すごく贅沢。帰ってきてよかったと、毎日本当に思います。ロンドンではずっと地下のキッチンで働く生活でしたし、曇っていて青空は滅多にないんですよ。

高校生の頃、原付を走らせて尾白川のほとりまで行き、エメラルドグリーンの川面を眺めて「よし、また頑張ろう」とリセットしていました。昔から変わらない澄んだ尾白川を見るたびに、ここで生まれ育って本当によかったと思います。甲斐駒から育まれる水がいかにありがたいか。神聖なものを感じますし、私たちの命の源ですよね。

だからみなさんが移住してくる理由も今なら納得できます。移住者の方が白州を盛り上げて、よくしてくれたんです。水と食材に魅了されて来られる方が多く、その方たちのおかげで私も気づかされたことがたくさんあります。私が帰って来れたのは白州のおかげですし、この町にポテンシャルをまだまだ感じています。

8月2日(金)小野さんが参加する有機野菜と日本酒を味わう田舎暮らし座談会『めぐる白州出張Night@東京』が開催!

山梨へ移住を考えている方へ
山梨県北杜市白州町の美しい自然と、地元の新鮮な野菜をふんだんに使った料理を楽しみながら、心地よい移住の未来を想像してみませんか? 「めぐる白州出張Night」では、白州町の豊かな自然環境と地元の食材を味わいながら、移住について語り合う座談会を開催します。地元で活躍するシェフや農家さんをゲストに招いたトークセッションもあり、リアルな体験談を通じて白州町の魅力を存分に感じられるひとときです。ぜひ、この機会に新しいライフスタイルの可能性を見つけてください。
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小野絢子さんデリカテッセン「Koma」

1990年北杜市白州町生まれ。地元の高校を卒業後、大学進学のため上京。卒業後、営業職として企業で勤務を続ける中でマクロビオティック注1に出合う。その後、料理と語学を学ぶため渡英、デリカテッセン「Ottolenghi」(オットレンギ)に所属。ヘッドシェフを務めたのち2023年に帰国し、北杜市で採れた旬の野菜とフレッシュソイミートを中心としたデリカテッセン「Koma」を2024年2月にオープンさせる。

注1:穀物や野菜、海藻などを中心とする日本の伝統食をベースとした食事を摂ることにより、自然と調和をとりながら、健康な暮らしを実現する考え方