INTERVIEW
水谷三重子さん白州・山の水農場

都市では得ることのできない幸せが白州にはある。
ほどよい距離感で、大きすぎないコミュニティは豊か。

白州の地で暮らす人たちへのインタビュー。第三回目は、白州の豊かな農村と人に魅せられて20年前に移住した、水谷三重子さんです。

text by 高山かおり/photo by 古厩志帆


ニュージーランドで気づいた農業のクリエイティブさ
白州と接点を持ったきっかけを教えてください。

大学時代に夫の父の知人が白州で農業をしていると紹介され、当時から食べることが大好きだった私たちは興味を持ち、行ってみることにしたんです。1泊2日で何度も訪れては、畑にテントを張って寝泊まりしながら農作業を手伝っていました。お世話になっていた農家の師匠は、お米やきのこ類、野菜もすべて無農薬で栽培していました。

大学卒業後、夫と結婚する前にキャンプをしながらニュージーランドを一周していました。当時はまさか農業をやるなんて思っていませんでしたが、農家さんをたくさん回るうちに、農業のクリエイティブさに気づいたんです。食べること、暮らすことのクオリティが農村はすごく高い。憧れを持ちました。

ニュージーランドから帰国して、もう少し広くて自由なところに住まいを移したいと考えたとき、白州が頭に浮かんだんです。何年も行ってなかったけれど、2、3年試しに住んでみようかなと。ニュージーランドへ行くような気持ちで行ったんです。長期的なビジョンではありませんでしたし、移住という言葉もない時代で、私たちにとっては旅の延長だったように思います。美味しい食べものをつくって生活をすることの豊かさに憧れがあったから、白州を選んだ。ただ、そのときも農業で生活をするという考えはなかったですね。

農村の美しさが詰まった人たちに魅せられて
どのような経緯で農業をはじめることになったのでしょうか。

師匠のところでまたお世話になることにして、野菜をつくってみると予想外にハマっちゃって。中でもきのこが面白かったんです。他の野菜は種を植えてから収穫まで様子が見える。けれどきのこはずっと胞子の状態で、1週間くらい前に突然芽が出て急に形になる。すごく不思議で神秘的に感じました。つくる楽しさを追求できる分野として、私たちには農業がぴったりでした。

初めて白州に来た当時の私たちは、何も持っていない弱い若者でした。お金もなければ権力もない突然やってきた若者に、当時80歳~90歳くらいのみなさんが優しくしてくださった。育ててもらったんです。20年前にお世話になっていた80歳の方たちは本当にすごかった。動物的というか、よく働くし、消費社会みたいなものを知らない。農村の美しさがぎゅっと詰まった人たちで、魅せられたんですよね。

お漬物や採れたものをたくさんいただきました。それ自体が教えだったのだと今はわかります。惜しみなくいろんなことを教えてくれ、可愛がってもらいました。当時、外国から買ってきたおもちゃかぼちゃの種を植えたことがあったのですが、おばあちゃんたちから「これはなんのかぼちゃ?」と言われて「観賞用です」と伝えたら、「食べられないものをつくるんじゃないよ」と。土がもったいないと言われて、ハッとしました。土がすごく大切なものだという感覚も当初はなかったんですよね。

大先輩たちに生き方を教わってきたんですね。

農村の人の生き抜く力はすごいんですよ。まわりの人のことをよく見ているし、幸せを感じる力と生み出す力がすごく強くて、とにかく働く。その先にある心身の充実を知っているからです。頭で考えるのではなく感覚的に動いていて、私たちはそういうスーパー農家さんたちを間近でずっと見てきました。農村の持つ豊かな自然と、人間の感覚って本当に面白い。その土地で暮らし続ける人々の間で、さまざまな文化や考え方、人と人との距離感が適切になり、地域性が生まれていく。

未知の世界で生きるって好奇心しかないんです。好奇心があれば相手も好きになるし、モノも好きになる。自分があまりにも疲れていたり余裕がない状態だと、人にも目が向きません。元々私も夫も、幼い頃から好奇心が強く、その豊かさに価値を置いていたことも農村で暮らすのに適していたのだと思います。

農業とひと口に言っても、いろんなやり方があります。私たちなりのやり方を創意工夫しながら見つけていき、あっという間に20年が経ちました。その間に子どもも生まれて、生活も変化していきました。農業も商売なので、つくったものを食べてくださった方が豊かになるのはすごく善だと思うんです。それで私たちは対価をいただく。そういう風に営みをしながら生きていけるのはアートだと感じています。

コミュニティとして大きすぎないことは豊かだと思う
白州の好きなところはどんなところですか。

私がすごくいいと思うのは、人が少ないということ。みんなの顔がわかるからひと肌脱ごうという気持ちになる。コミュニティとして大きすぎないことは豊かだと思うんですよね。知っている人たちのために何かをすることって人間らしい。この人優しいなとか、この人ケチだなとか。そういう不完全なところが人間らしくて私は好きなんですよね。みんな本当に優しいんですよ。でも怖がりなところもある。お互いあげたりもらったり買ったりというのは、基本的な生き方だと思います。この世の中からそんな関係性が消えたら私は寂しいです。

一日白州の店にいると、本当にいろんな人と喋るんですよ。別に何を話すというわけでもないのですが、愛情を感じるんですよね。だからと言って深い関係ではなくて。もし白州に移住していなかったら、人間の持つ本当の優しさを知らずに過ごしていたかもしれません。自分の人としての小ささもよくわかります。すべてひっくるめて、人が近くにいるということの恩恵だと思っています。

みんないい距離感なんですよね。こういう町で生まれ育った人は、自然に身についていると感じます。だから子どもたちを白州で育ててよかった。大人になったとき、きっと人間の温かさを知っている子に育つと思います。新しくできた都市にはない、幸せの得方ですよね。

これからは、もっと個の能力を認め合えるコミュニティをつくっていきたいです。つくり手の人に対してだけではなく、つくったモノに対して尊敬し合える仲間たちをつくりたい。それが、酒蔵の七賢で生産者を集めて開催している「七賢マルシェ」なんですよ。住んでいる地域も生まれた場所も、年齢も年功序列にはしない。みなそれぞれがいち農民、いちパン屋、いちクリエイターとして、フラットに付き合える関係。人がつくるものって、その人そのものなんです。白州で暮らす人たちは、そのアウトプットのレベルが非常に高い。ものづくりを幸せと感じている人がたくさんいるし、白州の元々の農民の気質がそうなんですよね。

移住を検討している方へ伝えたいことはありますか?

大人になってからの方がダイナミックに成長できると思うんですよ。成長の矛先を自分で決められるから。場所も世界も価値観も好きなように選べますよね。だから否定だけでは移住は難しいと思います。いまが嫌だからここではないところへ行くという形だと、そのあとが見えない。どちらかというとプラスのイメージを持って、こうやったらこうできるかもしれないからやってみようと思えるといいですよね。そうすると、もしその道が違ったとしても、そこで出会った人やモノから新しい何かが見えてくると思います。

水谷三重子さん白州・山の水農場

夫の多呂さんと2003年より「白州・山の水農場」を共同経営。神奈川県出身。大学時代に初めて白州を訪れ、豊かな農村と人に魅せられる。ニュージーランドでの長期滞在を経て、白州へ移住。農薬や化学肥料を使わず、年間約13種のきのこを中心にお米や野菜も栽培。白州のきのこ専門店のほか、山梨県立図書館1階で「図書カフェby白州・山の水農場」も営んでいる。